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朝日新聞:未来への発想委員会「地方分権を問い直す」

上(37日掲載)・下(38日掲載)


平成2639

岡 田 憲 夫


一番光っているのは、稲村和美氏(尼崎市長)ですね。私は彼女の論点は全うで、しかも現場実践に根座した主張だと思います。「ルールとは必要に応じて自分たちで作ったり、変えたりするもの」「自分たちで決めたルールは守られる」というポイントも、彼女の実体験から来ています。これは私が言う「自らが当事者になること」と裏腹の関係にあります。さらに言えばこれは身の丈に応じた小さな社会変革に(のみ)当てはまることではないでしょうか?自分たちが本当に実践する事起こし体験を持っている、よって少なくともそこのところでは「私はやってのけられる自信があるから、自分たちで決める資格と能力がある、だからルールづくりにも主体的に関われる、そのような〈皆〉が決めたルールは守られる」ということだと思います。 

話は飛びますが、一見、安倍首相も同じことを唱えています。

「憲法という国の根幹に関わるルール」を、そのまま単純に「ルール」と呼び変えて、それでは稲村氏の主張は成り立つのか

答えは当然Noですが、「憲法という国の根幹に関わるルール」は、私たちの身の丈を超えた話ですし、そこに直接参加できないという意味で当事者となれないという点にあります。

 「公共力」が弱いままでは、どんな制度論も絵に描いた餅になりかねないという主張もうなずけます。考えてみると民主党も「新しい公共」という言葉で同じようなことを言っていましたね。稲村氏のような現場の実践体験を持ち、かつそれを自らの思想の柱として自分の中に育てていく人が民主党にはいなかったということですね。

それと民主党が唱えていた「新しい公共」は、観念の産物、デスクワークの結果でしかなかった。そのような「公共性」は身の丈に応じた小さな事起こしをする力を持った人がそこかしこに育ち、あちこちに実体感のある「事起こしの実例」が芽を吹くことなしには、つまり〈「公共力」が弱いままでは、どんな制度論も絵に描いた餅になりかねない〉ということだと私は考えます。ここは大変重要なポイントではないでしょうか?



藻谷浩介氏(日本総合研究所)の論点も大変的確です。〈「国民主権は国家を弱体化させる」と考える中国政府が、経済大国の中では例外であるように、「地域主権は国家を弱体化させる」と危惧してしまう日本人の多くも、世界が見えていないのではないか〉という問いかけはまったくそのとおりです。この難題を解く戦略として、地域の多様性を生かしたメリハリのついた制度改革のための社会実験を認めるというのも頷けます。そのためには〈地方分権とは、財源・責任の異状であると同時に、中央対地方の相互監視を強めて、法治国家の内実を高めることである。〉というのもそのとおりでしょう。藻谷氏の主張は新しい「制度設計論」であり、ではそれをどのようにして実現するのか、そこに1歩でもどのようにして近づいていくのかには触れていません。その点では、他の識者と一見似ているようですが、氏が「里山資本主義」という「社会革新モデル」づくりを試行錯誤で実践してきた経験による確信が言わせるものがあり、そこを読者が感じることで説得性を持ってきていると判断します。


その他の学識経験者はこの期に及んでもオーソドックスな論評の域を出ていない。上から、自分の専門性や得意分野という砦に身を置いて、外の下に向かって淡々と述べていると感じます。じゃあ、それがうまく行かないのはどうしてなのか、あなたならどうしますか?あなたは何か小さな事起こしの実践をされているのですか?

 ここで議論しているテーマでは、その覚悟が論者に問われているのだと思います。その覚悟と確信がある人とない人、その違いが透けてみえます。


地域経営まちづくり塾のある意味で生きた教材になると思います。